Tuesday, October 31, 2006

悲しい写真

さてこの写真は何を写したのでしょう?
この写真は、先週土曜日、2006年10月28日の午前11時頃写したものです。場所は最寄のJRの駅です。




駅舎の改修という理由で公衆電話ボックスが二つ撤去されました。キオスクもなくなりました。それから駅舎の改修とは関係ないと思われる場所にあった、公衆電話も、ついでに?同じ27日に撤去されました。

なんとも寂しいというか、むなしいというか、いよいよ僕も時代に取り残されつつある、歴史的存在となりつつある、という思いが頭をかすめます。



ここのところ、グーグルのブログで写真をアップすると、投稿画面で写真を見ることができない。そのため写真の配置の調整ができない。それでこうした「密集」した構成となった。



まだグーグルのブログは「発展途上」のようだ。僕たちは、無料で使う代わりに、その発展のための材料を提供しているわけだ。グーグルはどう考えているだろう?知りたいな。

Tuesday, October 24, 2006

端島(軍艦島―――アルカトラス?)

2006年10月23日、端島に行った。昔長崎に住んでいた頃、対岸の高浜あたりから何度も見た島だった。高浜あたりから見ると、本当に軍艦のような格好に見えた。

今回船で行ってみて、端島が長崎湾の中ではなく、外洋に位置していることがよく分かった。船が波で相当に揺れた。


朝鮮半島から連れてこられた人にとっては、外洋の島、特に冬場は回りを荒波が荒れ狂う孤島だっただろうと思った。それでアルカトラスを思い出した、というわけだ。

上の写真は、香焼から端島を経由して高島に渡った船を高島で撮影したものだ。

下の2枚は、端島をその船から写したものだ。

Saturday, October 21, 2006

長崎2泊目


右が稲佐山、左は大瀬戸の海の上か…。

今日は久しぶりにぶりに吉宗の茶碗蒸しを楽しんだ。

Friday, October 20, 2006

長崎に来ている

僕の学生と一緒に「紅灯記」で学生のリクエストのちゃんぽん、それから紅灯記の本日のお勧めの豚肉を食べた。

僕は満足した。それ以上に学生が喜んでくれた。素直に喜べるのは素敵なことだ。

最後に、月餅その他のデザートを紅灯記のご好意でいただいた。何時行ってもおいしく、楽しく食事ができる。

長崎では食べる楽しみを満喫できる。

よい街だ。

Wednesday, October 18, 2006

ソニーの電池トラブルを考える

ついにソニーは自社のパソコンの回収に追い込まれた。「ソニー、自社製品も電池回収 業績下方修正も検討」(10/17 21:11、http://www.sankei.co.jp/news/061017/kei022.htm)

今や、ソニー製の電池を利用しているパソコンで安全なもの、あるいは安心して使えるものはない、ということだろう。

ソニー製電池の欠陥による発火問題が発生した当初は、デルやアップルなど一部のメーカーの仕様の問題であり、他のメーカーの製品は発火する前に、稼動不能となり、パソコンは停止し、発火しない、と説明していた。通常はこのようにパソコンは停止するのに、デルやアップルではそうした回路を持たなかったため、停止せず、ソニー製電池の不具合が発火に直結した、と説明していた。

何か他人事だった。

ところが今回、ソニーは自社製の、多分仕様的には、ソニー製電池の欠陥が発火に直結しないはずのソニーのパソコンの回収に追い込まれた。

どうもソニーは自社の電池の問題点を把握できていないらしい。

当初ソニーは、電池製造時に混入した金属粒子が電池内で別の部品と接触してショートしたことが発火の原因としていた。ところが昨日、10月18日になって「ソニー製電池の不具合、『金属粉』以外の原因も」ということになってきた(2006年10月18日/日本経済新聞 朝刊、
http://it.nikkei.co.jp/pc/news/index.aspx?n=AS1D1709Z%2017102006)。

この記事は、「デルやアップル機の事故でソニーは『混入した金属粉でショートが起こった』と認めたが、レノボは日本で回収した事故機の元素分析で『異物混入を見いだせなかった』としている」と書いている。

僕の知り合いはソニー製のパソコンがで始めた頃、かっこいいけれど、どうも安定性に難があり仕事に使うには不安がある、と言っていた。現状ではソニーのパソコンを人命にかかわるような所、ダムの水位のチェックだとか信号の制御には怖くて使えないだろう。

ソニーはこれまで、いろいろなヒット商品を生み出してはいるが、車のようなその製品の欠陥がヒトの命に直結するようなものは製造してこなかった。彼らは半導体も作っているようだが、それはゲーム用のそれだと伝えられている。

今回の電池の問題はソニーのブランド力を大きく損ない、金銭的にも大きなダメージとなるだろう。このままソニーは衰退していくかもしれない。それはそれでヒトの命を危うくするような製品が世に出る確率が小さくなるわけで、歓迎だ。しかし、できれば今回の欠陥商品を送り出した経緯を振り返り、ヒトの命を危うくすることのない物造りを自動車メーカーや、自動車部品も作る他の電機メーカーから教えを受け、立ち直ってもらいたい。

それには相当時間がかかるだろう。しかしそれしかソニーが生き延びる道はないだろう。それともパソコンや電池を捨て、音響とゲームのメーカーに徹することになるかだ。

Monday, October 16, 2006

大企業による地域破壊

新宿から近くの駅に降り、自宅に向かう途中の神社が夕陽を受けてきれいだった。


そこで思い出したのだが、2006年4月にJRの駅の敷地内にコンビニができた。

それから約6ヵ月、郵便局の前のコンビニが店仕舞いした。その郵便局も、集配業務を廃止し、町の小さな預金業務などを扱う郵便局となり、広かった駐車場も仕切りができ、車は数台しか止められなくなった。

間もなく、本屋さんも店仕舞いと聞いている。多くの人が雑誌類を駅に隣接したコンビニで買うようになったせいだろう。

JRという大企業による地域破壊だ。

Thursday, October 12, 2006

やっとGoogleの検索で出るようになった

このブログのタイトルは「日本現代誌」だ。これまで日本現代誌と入れても、この僕のブログはGoogleでは表示されなかった。Yohooでは、だいぶ前から表示されるようになっていた。

今日久しぶりに、Googleに、日本現代誌、と入れたら一発でこのブログのアドレスが表示された。

近いうちに「日本現代誌」の意味や狙いを書き込もう。

今日は日吉で講演をして、時間が足りなくなって焦って話して少々くたびれた。

というわけで日本現代誌についての記述は、宿題。プロフィールもそろそろ書かなければいけないかな?

Wednesday, October 11, 2006

曇りの日の空

今日、10月11日、昨日の晴れの特異日と違って、午後になって雲が広がってきた。雲の間に見える青空は淡い色で風情を感じる(下)。その風情は僕が使っているデジタルカメラではなかなか出せない。














曇った日の、雲の輝きは天気の日の夕焼けと違い、光がやわらかい、これも僕が写真で表現するのは難しい。しばらく試行錯誤を続けよう。

Sunday, October 08, 2006

とても良い天気だった

盛岡から帰って、疲れていたのでどうしようかと思ったが、あまりの天気の良さに散歩に出かけた。その時に写した写真だ。

下の写真は、大島と、その右にも小さな島が映っている。今まで気付かなかった小島だ。
次ぎの写真は、散歩の帰り、夕焼けがあまりに赤かったので写した。電車はアクティーだ。

Saturday, October 07, 2006

盛岡に来ている

台風を追いかける感じで、東北新幹線で盛岡に来ている。以下は新幹線の窓から撮った、盛岡の手前の北上川の写真だ。

さて明日は…。

Thursday, October 05, 2006

「731部隊―実像と虚像」講演録 あとがき


10月2日に「731部隊―実像と虚像」講演録 質疑応答編 18 を投稿した時、これが連載の最終回とは思っていなかった。まだ何か残っているような気がしたが、前回以降の分を調べた結果、実際には書くべきものは残っていなかった。そのことを今、続編を書こうとして気付いた。

さてこうして「あとがき」をと思ったが、それはまた日を置いて書くことにする。

左上は、2006年7月22日、僕が本連載の元となった講演をした時の、人骨(ほね)の会の案内のチラシだ。会員の一人がパソコンで作ってくれた。とても上品にできていて、僕は気に入っている。

Wednesday, October 04, 2006

むじ汁屋が禁煙になっていた



何年か前から時々行っているむじ汁屋に行った。いつも通りおいしかった。

いつもと違い、店内の空気がよい。「禁煙」の貼紙があった。帰るとき、何時から禁煙ですか、と聞いたら1年近く前から、ということだった。僕が前に行ったのは、昨年、2005年春だった。当時は煙草を吸っている人がいた。

その店を調べたら、サイトに次のように出ていた。
●むじ汁専門店「万富」
~食を通して健康に~

http://www.nahatown.com/shop/mjm_1.html

上と下は、朝食時にホテルの食堂(10階)から撮ったゆいレールの写真だ。


Tuesday, October 03, 2006

那覇国際通り

沖縄に来ている。今月できたばかりの「沖縄そば博物館」に行った。八重山そばと那覇の一番シンプルなそば、合計2杯食べた。僕には、那覇のそばがおいしかった。明日は、イカ墨のそばを食べたい。

下の写真は今日の午後10時少し前の国際通りの写真だ。ホテルの窓から写している。モノレールの牧志駅から少し安里側に行ったところだ。

Monday, October 02, 2006

「731部隊―実像と虚像」講演録 質疑応答編 18

質問 戦犯免責ではなく、アメリカとの買い取りの売買契約はアメリカ政府となのかということと、それから買い取られた実験データの一部は入手できるのかどうか、その情報を知りたい。

常石 売られたデータの概略は今見ていただいたものがそうです。今残っているのはこの3本だけで、実際には20本くらいこうしたレポートが書かれている。さらにこういうレポートを読んでいると、文書化されたものだけではなくて、実際例えば顕微鏡で見るためのスライドも売り渡されている。

誰が契約したのかははっきりわかりませんが、契約書だとかそういうものは残っていなくて、現実には最初に来たのは1945年はサンダースという軍医大佐。それから46年に来たのはトンプソンという獣医中佐です。それから47年に来たのは、肩書きは博士でフェルという。それから更に47年の秋に来たのは、ヒルとビクターという2人の博士号を持った人物。彼らはみんな当時でいうキャンプ・デトリック、その後拡大してフォート・デトリック、そこにいた。

こういうデータの分析はキャンプ・デトリックに送られる。キャンプ・デトリックでそのデータが有効かどうかが分かるのは朝鮮戦争のころなのだろう。朝鮮戦争の頃分かってきたことは、石井機関のようにあれだけ大規模なことをやっても、あの程度のことしかできない。あまりうまくないのではないか。というふうにアメリカは考えたようです。その頃からこういうデータをキャンプ・デトリックから、陸軍の実験場のあるダグウェイという砂漠の街に送りました。NHKはダグウェイでこの資料を発見しました。それから間もなくワシントンDCの議会図書館に送られ、現在に至っています。

契約の主体というのははっきりしませんが、中心として活動したのは、参謀2部(G-2)の支援を受けたキャンプ・デトリックということです。ここも1972年に生物兵器禁止条約が締結されたときに、当時の大統領はニクソンですが、フォート・デトリックの生物・化学兵器研究の基地の役割は終わりまして、陸軍の科学研究所などに変換されます。