Monday, October 02, 2006

「731部隊―実像と虚像」講演録 質疑応答編 18

質問 戦犯免責ではなく、アメリカとの買い取りの売買契約はアメリカ政府となのかということと、それから買い取られた実験データの一部は入手できるのかどうか、その情報を知りたい。

常石 売られたデータの概略は今見ていただいたものがそうです。今残っているのはこの3本だけで、実際には20本くらいこうしたレポートが書かれている。さらにこういうレポートを読んでいると、文書化されたものだけではなくて、実際例えば顕微鏡で見るためのスライドも売り渡されている。

誰が契約したのかははっきりわかりませんが、契約書だとかそういうものは残っていなくて、現実には最初に来たのは1945年はサンダースという軍医大佐。それから46年に来たのはトンプソンという獣医中佐です。それから47年に来たのは、肩書きは博士でフェルという。それから更に47年の秋に来たのは、ヒルとビクターという2人の博士号を持った人物。彼らはみんな当時でいうキャンプ・デトリック、その後拡大してフォート・デトリック、そこにいた。

こういうデータの分析はキャンプ・デトリックに送られる。キャンプ・デトリックでそのデータが有効かどうかが分かるのは朝鮮戦争のころなのだろう。朝鮮戦争の頃分かってきたことは、石井機関のようにあれだけ大規模なことをやっても、あの程度のことしかできない。あまりうまくないのではないか。というふうにアメリカは考えたようです。その頃からこういうデータをキャンプ・デトリックから、陸軍の実験場のあるダグウェイという砂漠の街に送りました。NHKはダグウェイでこの資料を発見しました。それから間もなくワシントンDCの議会図書館に送られ、現在に至っています。

契約の主体というのははっきりしませんが、中心として活動したのは、参謀2部(G-2)の支援を受けたキャンプ・デトリックということです。ここも1972年に生物兵器禁止条約が締結されたときに、当時の大統領はニクソンですが、フォート・デトリックの生物・化学兵器研究の基地の役割は終わりまして、陸軍の科学研究所などに変換されます。

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