Sunday, September 24, 2006

「731部隊―実像と虚像」講演録 13

スライド28
スライド28に「右の論文は部隊の陸軍技師、吉村寿人が戦後発表したものである。生後3日の赤ん坊を実験対象としている。」と書きました。スライドの右側の英文のものがその論文です。そこにFig.2(図2)というグラフがありますが、そこで実線で示されているのが生後3日の赤ん坊についての「実験データ」です。1ヵ月後のは太い点線、細い点線は6ヵ月後のものです。

これら「実験データ」をどうやって計測するかというと、中指を水と氷が一緒になったような冷たい、塩を加えて0度では凍らないでもっと下がる溶液、それに指突っ込むわけです。どうなるか見るわけです。そうすると、指の温度が下がっていきます。グラフに見るように下がっていきます。そのまま下がり続けると凍ります。それは凍傷になるということです。グラフにあるように途中で温度が上昇すれば、戻れば凍傷になりません。そういう反応を見ている。生後3日の反応がこれです。

これは1950年から52年にかけて発表された一連の論文の中で明らかにされたものです。こうした人体実験の論文が、戦後になって英文の学会誌に発表されたことの意味を押さえておきましょう。これは731部隊ならではの人体実験が、医学界では公然の秘密であって、隠すべきことではなく、共有すべき知見だった、と考えるべきなのでしょう。

平澤のイヌノミの学位論文の場合にはまだ戦時中ということで、時代が違うということが言えたかもしれない。ところが、これは戦後ですよ。この論文が問題となった時、吉村は共同研究者の飯田さんの子供だった、と主張しました。その時すでに飯田さんは亡くなっておられた。彼の死後、そんな説明をしています。

ある人から吉村が書いた『喜寿回顧』(1984年)という本をもらいました。本をくれた人は僕に、「この本を読むと、飯田さんの子供が生まれた時期に吉村さんも同じように子供ができている。どうして彼は自分の子供を使わなかったんだろう」と素朴な疑問を口にされた。僕は、「いやそもそも飯田さんの子供というのは嘘に決まっているじゃないですか、たぶん部隊で囚われていた女の人が子供を生み、その子供を生まれて3日で連れてきて、こういう実験をしたんでしょう」、と答えたことを覚えています。

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