「731部隊―実像と虚像」講演録 6
スライド11は、731部隊のデータを引き継いだ米国が保管していた3種類のレポートです。A、GそれにQレポートです。これは1993年にNHKが731部隊の2時間のドキュメンタリーを放映しましたが、その製作過程で発見されたレポートです。その後しばらく行方がわからなかったのですけれども、2005年くらいになって米国議会図書館にきちんと納められたということが分かりました。ご覧になって分かると思いますけれども、ぼろぼろです。一枚一枚プラスティックのケースに入っています。僕たちが行って見られるのは製本してあるほうです。こちらはコピーです。本物はこうして一枚一枚ケースに入っているのが20~30枚ずつ箱に入っている。オリジナルを写真に撮るといっても、出してこれ以上ぼろぼろにするのはいやですから、上から写真を撮ったので光っています。AとGは人体実験のレポートです。
これを発見したのはNHKですけれども、実際に資料漁りを行ったのはシェルドン・ハリスというカリフォルニア州立大学ノースリッジ校の歴史の先生でした。彼の『死の工場』(柏書房、1999年)は日本語で読むことができますが、その中で、彼は自分が発見したこれらの資料について、これらは皆、関東軍軍馬防疫廠-100部隊の関係者がまとめたものだと書いている。それは何でそういうことを書くのかと考えると、『死の工場』は731部隊や100部隊を取り上げていて、如何に日本は大変なことを、残酷なことをやったかということを一生懸命書いているが、100部隊についてはあまり資料がないんです。でこんな引用、流用をしたのかなあと僕は勝手に考えています。
これらレポートは人体実験が暴露された後、1947年春に調査のため来日したノーバート・フェルという生物兵器の専門家がいます。彼は調査した結果、日本人研究者に何通かのレポートをまとめさせました。そのうち今残っているのがこの3本で、Aというのは炭素菌についての人体実験、Gというのは鼻疽菌についての人体実験についてのそれぞれレポートです。それからQ、これは人体実験ではないと思います。1940年に新京、それから農安で流行したペストについてまとめたレポートです。
フェルの調査の後、ヒルとビクターが夏以降に来日し、調査を行いました。ヒルとビクターが先ほど言った嘱託の小島三郎東大教授、細谷省吾東大教授、内野仙治京大教授などを含めて人体実験の中味を調べている。その一覧表が全部で3つ、スライド12~14、あります。赤痢の嘱託2というのが小島三郎と、細谷省吾。で、小島三郎は赤痢のワクチン開発を受け持っていたのですけれども、なかなかできなかった。いろいろやったんだけれどもあれは多分部隊では人体実験でやっていたんだろうなあ、ということを米軍に対してしゃべっている。
コレラについて135人と相当多くの人に実験をやっていますが、有効な標本は半分以下。表の軍医というのは石井四郎のような人物を言います。技師というのは、例えば先ほど吉村寿人は凍傷で有名だと言いましたけれども、彼は京都大学の講師から部隊に来たので軍人ではありません。民間人のまま731で働いていた。こういう人たちを技師と言います。それから嘱託はさっき言ったとおり。技師というのは民間人の中でも将校待遇の民間人のことを言う。
これも基本的には同じ。ムチンというのは豚の胃腸や何かを使ったもので、これと一緒に病原体を撒くと感染力が増すとか、あるいは感染後の症状がひどくなるとかいろいろな効果を調べようと思ってこんな研究を行っている。この嘱託というのは、先ほどの京都大学の内野仙治です。でいろんなことやってペストで人体実験したのが180人。一方新京での流行が66名で有効な標本が64です。これが先ほどのQレポートの記録です。
孫呉熱、流行性出血熱、これは現在では腎症候性出血熱といわれていますけれども、この研究で101人の人を殺害する。結核、結核はBCGなんかもそこに入っているのではないかと思う。
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