連載を開始します 人骨発見17周年集会「731部隊―実像と虚像」講演録 1
この講演は、2006年7月22日、僕たちがやっている会の年会で行なわれたものです。
以下はスライド1です
今日のタイトル「731部隊―実像と虚像―」の説明から始めましょう。今年は、731部隊が創設70周年になります。それで「実像と虚像」というタイトルですが、僕が部隊についての最初の本、「消えた細菌戦部隊」(海鳴社、1981年)を書いてから25年ぐらいになります。731部隊と付き合うのも四半世紀だなあ、そろそろ止めて他のこと、別のテーマにしようかなあと思っていたんですね。そういう意味で言うと、人の関心を惹くた
めに731部隊というのは大変なんだぞと僕自身が虚像を膨らませていたところもあったと思うのです。ところが、そろそろ止めようかなという段になり、いやあれたいしたことないよと、水を注すようなことをいう。研究者というのはそういう狡い(こすい)ところもあります。で、まあそんな中で本当のところと嘘のところを見て行きたいなあと考えているわけです。
これまで僕たちが付き合ってきた人骨(ほね)、1989年7月22日、17年前に見つかった人骨(ほね)というのは、出てきた場所からいうと731部隊から送られたものではないだろうと思っています。しかしいろいろな方々が731部隊との関連を戸山の人骨(ほね)についておっしゃるときに、僕たちはあえて否定はしませんでした。それはそれでいいだろう、少なくともその人骨(ほね)のことをみんなが忘れないでいただければ、それが人骨(ほね)を保管し、いずれ出身地というか、そういうところに返すことができるかもしれない。そんなようなことを考えていました。そんな意味では戸山の人骨(ほね)を731部隊とつなげることは虚像だった、と自覚していました。しかし下のスライドA、「17年目の転機」にあるように、虚像だったものがいつの間にか実像になるかも知れない。
それはあの、このタイトルは何を話すかよくわからないままに2ヵ月前につけたのですが、その間に状況がまた変わってきて、必ずしも虚像としての731部隊だけではなくて、あの人骨(ほね)というのはまた一箇所だけではなかったということが分かって、731部隊とつながるところもこれから出てくるかも知れないなあと、今は考えているところです。
以下はスライドAです
上のスライド1の左側のノートには「終戦メモ、1946-1-11」その下に「石井四郎」、右側のには「1945-8-16」その下に「終戦当時メモ」と書かれています。これらは一昨年に、青木富貴子さんが石井の頼みで預かっていた人から入手した石井四郎の直筆のノートです。1946年というのは内容的には誤記で、45年の11月1日だろうというふうに青木さんは解析しています。それから45年の8月16日、終戦当時メモ。これは後になってこのタイトルはつけたのだろうと思います。例えば今は「人骨(ほね)発見当時メモ」と言うのはありますが、その時に「人骨(ほね)発見当時メモ」とは書かないわけです。書くとしたら「人骨(ほね)メモ」。
この2つのノートのうち「終戦当時メモ」には、明らかに人体実験であるとか、生物兵器の使用であるとか、そうしたことがはっきり書かれている。ですからこれを持っているわけにはいかないだろう、しかしかと言って、石井にとっては非常に意味のある、彼の生涯にとって非常に重要なノートだったろうと思う。ですから燃してしまうとか、ずたずたに引き裂いてしまうということは忍びなくて、その青木さんの本(「731」新潮社、2005年)で言うと渡辺とよさんに預けます。そのときにこの二つのタイトルと何月何日ということを書いたんだろうと思います。それはたぶん46年になって1月か2月頃。米軍の調査をひかえて、こんなメモを持っていて、それが見つかるとまずいというので、青木さんの本では渡辺とよさんという方に預けるためにタイトルを書いたのだと思います。
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