Wednesday, September 20, 2006

「731部隊―実像と虚像」講演録 9

スライド21
スライド21は、石井機関による生物兵器の使用が虚像に終わった例です。

石井にとって大失敗の例です。1942年の浙贛地区での話です。コンフィデンシャル(秘密あるいは部外秘)と書いてありますが、1944年12月12日付の捕虜尋問調書です。ここには中国における日本軍の細菌戦の失敗が、捕虜とした防疫部隊の兵隊(衛生兵)を尋問した結果分かった。日本軍が42年の浙贛作戦のとき生物兵器攻撃を行ったが、そのときに細菌攻撃を行った地域に日本軍が予想外に早く入り込んでしまった。それで患者が日本軍で一万人出た。非常に短期間に一万人の患者が出た。この衛生兵が南京の防疫給水部で見た文書には、1700人が死んだと書かれていたという。

通常こういう数字、不愉快な数字は低く見積もられるのが常だから、実際にはもっといっぱい死んでいるのではなかろうかと言っているわけです。

日本軍が浙贛作戦で各地域に大量の病原体をばら撒いた。そのことを知らないで、日本軍が進入したわけです。一万人というと師団ほとんどすべてです。師団の全員下痢や発熱に悩まされた。そのうちの1700人が死んでしまったわけです。

こういう大失敗をした。それで生物兵器とか細菌戦について、石井の言動や部隊を含めた虚像がいっぺんに明らかになり、陸軍上層部の信頼を急速に失っていく。

生物兵器攻撃をうまくやるためには、本来使う予定の病原体に対するワクチンがないと、病原体はまけないわけですよ。しかし石井たちが考えていたのは、攻撃する人にだけワクチンをするぐらいで、一般の兵隊たちにはワクチンを与える余裕はなかった。そういう意味で言うと生物兵器を使えるような状況には日本はなかったのではないかと思ったりもしています。

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