Monday, July 28, 2008

西岡陳述書その3の別ページ

このページを読む方は僕の別のブログをご参照ください。以下の表はそちらでうまく表示できなったために、こちらに掲載しました。

西岡陳述書節・日時

陳述内容(対警察)

2(03.7.20)

(警察庁幹部)からJR革マル問題をはじめて聞く

3(03.11初旬)

Aから警察資料渡される

4(03.11.28)

AからB(警視庁、Aの部下)を紹介される

5(04.7.30)

Bと取材データと警視庁公安部の捜査情報とのすりあわせ

7(04.8.26)

BからJR革マルメンバー表(警視庁資料)を渡される、Bと取材データと警視庁公安部の捜査情報とのすりあわせ

9(04.9.11)

Bと取材データと警視庁公安部の捜査情報とのすりあわせ*

11(04.12)

「文春」取材班解散、Bとの接触は05年12月まで1年間続ける

12(05.12.7)

AからJR総連捜査について説明される

14(05.12~06.4)

05.12~06.4の間AおよびBと定期的に接触・06.4.10捜査当局関係者を入れた6者会合開始(合計19回)**

34(06.11.15?)

Bと会う

35(06.11.22?および11.27)

Bと会う

* 06.4.10以降捜査当局関係者を入れた6者会合を行うようになると捜査当局との「すりあわせ」は不要となる。

** 6者会合の日程(2回目以降分):06.4.28、5.12、6.29、7.31、8.9、8.28、9.14、9.19、10.4、10.12、10.17、10.23、11.1、11.8、11.15、11.22、12.6、12.20

この陳述書は、西岡が十分な取材に基づいて記事を書いたことを立証することが目的だが、これでは彼の「週刊現代」の記事、およびそれに基づいた単行本が、警察の「先導(扇動?)」で準備された、と言えるだろう。

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